お寺の掲示板(令和7年12月)
- 木原祐健

- Nov 30
- 3 min read
草加光明寺の掲示板に毎月掲出している言葉をご紹介いたします。取り上げる言葉とその解説は、『お寺の掲示板』(江田智昭著・新潮社)等を参考にさせていただいております。

「苦は、楽の種。楽は、苦の実。」
今回の言葉は、 「水戸黄門」として有名な徳川光圀の言葉に「苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし」があります。この掲示板はそれを元に作られたそうです。
『お寺の掲示板』の江田さんは、もととなった言葉を
徳川光圀の言葉は、いまの苦労はのちの楽につながるのだから、将来のために苦労も耐え忍ぶべきというものです。また、楽と苦は背中合わせであり、楽には苦が、苦には楽が付いて回るものという意味も含まれているようです。
という意味と捉えつつ、 「楽は苦の種」ではなく、「楽は苦の実」と言い換えるところに着目します。そして、仏教の「因果」特に、「善因楽果、悪因苦果」という考え方について考えを広げていきます。
仏教には「善因楽果(ぜんいんらくか)、悪因苦果(あくいんくか)」という言葉があります。 善い行いをすればのちに幸せを感じ、悪い行いをすればのちに苦しみを感じる。お釈迦さまは過去世のことを問題とせず、あくまで現世の中で自分がした行為がのちの自分自身に影響を与えるという考え方をしていました。
江田さんは『スッタニパータ』という経典を引用します。
世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生けるものは行為に束縛されている。進み行く車が楔(くさび)に結ばれているように。 「スッタニパータ第654偈」(中村元訳『ブッダのことば』岩波文庫)
お釈迦さまは行為を重視し、それに人々は束縛されること、自分の行為が原因となって、その後の「楽」や「苦」を生み出すことから、普段から自分自身の一つ一つの行為を細かくチェックすることが大切であると江田さんはまず語ります。
そのうえで、「苦」や「楽」の感覚はあくまで個人の受け取り方次第でもある、という点を古代ギリシアの哲学者のヘラクレイトスの「上り坂と下り坂はひとつの同じ坂である」という言葉をもとに紹介し、そのときの自分が置かれている状況をどのように捉えるかは、そのときの自分の心のはたらきによるものであると伝えます。
最後に江田さんは、「楽」と「苦」について、以下のようにまとめていきます。
ですから、短絡的に「楽」や「苦」と判断を下してしまう自分の勝手なものさしを信用しないことも非常に重要です。そのようなものさしにとらわれなくなると、無駄な一喜一憂がなくなり、人生の「楽」へとつながっていくのです。
今回の言葉を契機に、時代劇「水戸黄門」の主題歌にある有名な一節「人生楽ありゃ苦もあるさ」も、より深く味わうことができそうです。 引用部、『お寺の掲示板の深〜いお言葉』(江田智昭/ダイヤモンド・オンライン 2019年10月21日更新)より









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