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お寺の掲示板(令和7年11月)

  • Writer: 木原祐健
    木原祐健
  • 5 days ago
  • 3 min read

草加光明寺の掲示板に毎月掲出している言葉をご紹介いたします。取り上げる言葉とその解説は、『お寺の掲示板』(江田智昭著・新潮社)等を参考にさせていただいております。


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「チャンスはピンチの顔してやってくる」


『お寺の掲示板』の江田さんは、「人間万事塞翁が馬」という諺を引用し、今回の言葉と同様の言葉が世界各地に存在することを説きます。

江田さんは人生の中で誰もが陥る「ピンチ」について

「ピンチとは自分の思い通りにならない状況」だと言えます。

と、簡潔に表し、仏教的な観点から掲示板の言葉を見直し、問いを立てていきます。


お釈迦さまがおっしゃるように、人生は「一切皆苦(思いどおりにならない)」なので、ピンチが発生することは、当然といえば当然です。では、なぜ自分の思い通りにならない状況であるピンチがチャンスへとつながるのでしょうか?

江田さんはその解答の一つとして、

ピンチに陥ることが「自分がこれまでやってきたことや自分のあり方が果たして正しかったのか?」を見つめ直す契機となるから、が挙げられそうです。

という考えを示します。

江田さんはピンチに直面することを自省につながる機会と捉えるとともに、「自分の『思い通り』とは、そもそもいったい何だったのか?」を考える機会にもなる、と論を進めていきます。


また江田さんは、「思い通り(=欲望)」は無意識のうちに肥大化しやすい性質を持ち、「思い通り」が大きくなることによって、さまざまな事柄をありがたいと受け取る感覚がなくなり、傲慢な性格になってしまう、と説明し、

親鸞聖人は、このような心の様子を「邪見驕慢(じゃけんきょうまん)」と呼んでいます。

と厳しく見ていきます。


江田さんはこのような心から自らをピンチに陥らせないため、常に己の心を省みることが必要であること、生きていくために欲望を完全になくすことは不可能ながら、人生には「欲望のデトックス」のようなことがたびたび必要になることを示します。


江田さんは「放てば手に満てり」という禅語から、ピンチという非常時は、自身の欲望を省みて、何らかの執着や欲を捨て去る良い機会ともなることを示し、以下のようにコラムを結びます。


(前略)ピンチを迎えたときは、「自分が強く執着しているものが何なのか?」をしっかり見つめてみましょう。自分がしがみ付いていたものを手放すことは恐怖を伴いますが、執着から離れてみると、新たな気付きが生まれ、それがある種のチャンスへとつながっていくのではないでしょうか。

「ピンチ」「チャンス」という言葉からより深い味わいをいただくきっかけとなったように思います。


引用部、『お寺の掲示板の深〜いお言葉』(江田智昭/ダイヤモンド・オンライン 2022年10月17日更新)より

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