お寺の掲示板(令和7年3月)
- 木原祐健
- Feb 28
- 3 min read
草加光明寺の掲示板に毎月掲出している言葉をご紹介いたします。取り上げる言葉とその解説は、『お寺の掲示板』(江田智昭著・新潮社)等を参考にさせていただいております。

「私なんか、という自慢」
仏教には「慢」という煩悩があると言われています。日常語としても使われる「自慢」は「慢」の一つですが、今回の言葉のように「私なんか」と自分を卑下することも「自慢」とされるそうです。このような考え方は、私たちには少し違和感があるかもしれません。『お寺の掲示板』の江田さんも、
「私なんか」と言って、自分自身を卑下する人は世の中に大勢いると思います。このような言葉がなぜ「自慢」にあたるのだろうかと不思議に思われる方も多いかもしれません。
このように疑問を呈し、仏教の考え方を紹介していきます。
仏教には「慢」と呼ばれる煩悩を表す言葉があります。(中略)これは他者と比較する中から生まれる煩悩のことです。
江田さんは他者との比較の中で優劣をつける私たちの心のはたらきを紹介します。
他者と比べることで優越感に浸り、自分を褒めるような発言を、世間一般では「自慢」といいます。また、「私なんか」という劣等感による発言も、実は「慢」から生み出された立派な「自慢」の一種なのです。
ここから江田さんは、「私なんか」という劣等感に潜む「自慢」をひもといていきます。
劣等感から生み出されるものは、仏教的には「卑下慢(ひげまん)」とも呼びます。「周りに比べて、私なんかダメです」と発言した人がいた場合、発言した人の心には「自分をダメだと認めることができる私はすごい」という、うぬぼれの感情が、少し生まれています。この「うぬぼれ」を“卑下慢”と呼ぶのです。
江田さんは動画配信サービス「NETFRIX(ネットフリックス)」で配信されている「極悪女王」という80年代の女子プロレス界を取り扱ったドラマを題材に、まさに「私なんか」と自分を卑下してきた女子プロレスラー「松本香」が悪役レスラー「ダンプ松本」に変化する様子を紹介します。
気が弱く優しい性格の松本香は、その生い立ちも、周囲と比べてさまざまな面で恵まれていませんでした。マッハ文朱の大ファンで、問題山積みの父親に悩まされ続けた母の生活を助けるため、高校卒業後、全日本女子プロレスの門をたたきます。そして、20歳でデビューしてからも「私なんか」という“卑下慢”を心にためこんでいきました。その“卑下慢”が、ある日心の中で爆発し、当時大人気だったクラッシュギャルズへの強烈な怒り・憎しみへと変化していくのです。
デビューから4年後、悪の権化のようなキャラクター「ダンプ松本」が誕生しました。ドラマでは、この内面の変化を、ゆりやんレトリィバァさんが絶妙に演じています。
そして江田さんは、「卑下慢」が「うぬぼれ」であり、怒りや苦しみの原因ともなることを示します。
“卑下慢”は、一見すると謙虚な姿勢に思えますが、このように他者への攻撃的な感情へと変化する恐れがあるのです。なぜなら“卑下慢”は、しょせんうぬぼれやおごり高ぶりにすぎず、それは「怒り」「憎しみ」の原因でもあるからです。
江田さんは以前お寺の掲示板で見たという「自慢は智慧の行き止まり」という言葉を引用し、仏教の「智慧」を「ありのままに世界を認識すること」と捉えます。そして、
煩悩である「慢」が生み出す「うぬぼれ」は、この世界で起きていることをありのままに認識することを妨げ、自己中心的な見方を促します。そうなると(自己中心的な視点からの)怒りや憎しみが心に湧き起こり、争いやトラブルが発生することになるのです。
と、「慢」がトラブルを起こすメカニズムを示し、以下のような言葉で締めくくります。
“謙虚”と“卑下慢”の違いは紙一重。「慢」心にはくれぐれも気を付けたいものです。
私は「自慢」「卑下慢」という慢心に陥っていないか。どちらにも陥らずにいるのは、本当に難しいものです。
引用部、『「お寺の掲示板」の深〜いお言葉』(江田智昭/ダイヤモンドオンライン 2024年11月18日更新)より
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