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お知らせ

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お寺の掲示板 (令和6年11月)

草加光明寺の掲示板に毎月掲出している言葉をご紹介いたします。取り上げる言葉とその解説は、『お寺の掲示板』(江田智昭著・新潮社)等を参考にさせていただいております。



「『正しさ』は 用法用量を守って 正しくお使いください」


「用法用量を守って正しくお使いください」という言葉は薬品のCMなどでも耳にする定型句で、このブログをご覧の方も何度も見聞きしたことがあるのではないでしょうか。


ここで正しく使うべきものは「薬」ではなく「正しさ」となっています。

私たちはいつも「正しさ」を根拠にして振る舞いますが、しばしばそれは他者を傷つける要因にもなります。

一時期ドイツのお寺に赴任していた江田さんは、ご自身がアウシュビッツの強制収容所を訪れた経験をもとに、その場で行われた虐殺行為の残虐さに戦慄するとともに、ナチスドイツの人達からはそれが当たり前の「正義」「善」であったこと、「正しさ」を淡々と行使する人間の恐ろしさを実感したことを振り返っています。


そして江田さんは、私たちが考える「善悪」は、「自分にとっての善悪」でしかないこと、決してあてにならないものであることを説きます。


親鸞聖人は『歎異抄』の後序の中で「善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり」とおっしゃっておられます。

これは「何が善であり、何が悪であるのか、どちらもわたしはまったく知らない」ということだと解説します。江田さんは「物事に白黒をつけることができない状態は決して気持ち良いものではありません」としながら、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を示します。これは「答えの出ない状況に対して、答えを出さないままに耐える力」を指すもので、ものごとを単純に切り取りがちな現代に必要とされる概念とも言われています。



江田さんは、仏教の視点から全体を振り返ります。

み教えを聞かせていただくことは、自分の知恵や判断を過度に信用しない謙虚な態度につながります。み教えを通して、己の善悪のものさしがあてにならないことを痛感する。これを繰り返すことによって、「正しさ」の乱用が防がれていくのです。

仏教は自身の価値観(ものさし)を問い直すものだと言われています。自分自身の「正しさ」にこだわってしまいそうなときこそ、み教えのありがたさがしみてくるように思います。


引用部、『江田智昭が語る お寺の掲示板入門』(江田智昭/本願寺出版社)p12-p13より

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