お寺の掲示板(令和7年5月)
- 木原祐健
- May 2
- 2 min read
草加光明寺の掲示板に毎月掲出している言葉をご紹介いたします。取り上げる言葉とその解説は、『お寺の掲示板』(江田智昭著・新潮社)等を参考にさせていただいております。

「暗闇だからこそ光に気づく」
この言葉は、浄土宗徳性寺(東京・文京区)の掲示板の言葉。
(公財)仏教伝道協会が開催した「輝け!お寺の掲示板大賞2024」ではお寺との良いご縁を見つけるサイト「お寺の窓口」から、「お寺の窓口賞」を受賞しました。
「お寺の窓口」による講評は以下の通りです。
昨今、闇バイトでお金のない若者が目先に惑わされ応募し、どん底へ落ちて今の状況に気がつく方が多いようです。仏教においての「無明」とは、人間の苦しみや迷いを生み出す最も根本的な原因です。人間はみな心に「無明」(闇)を抱えており、絶望的な状況に陥ることもありますが、常に仏様(阿弥陀仏)の光は私を照らしているのです。
「闇と光」というテーマでいえば、以前「あなたに影があるなら、それは光が当たっている証拠よ。レディー・ガガ」という言葉を紹介しました。
『お寺の掲示板』の江田さんは、光と闇について、仏教的な観点から説明していきます。
まずは光について。
仏教で「光」は仏さまの「智慧」や「慈悲」を表します。一般的に「智慧」とは物事をありのままに正しく見ることであり、「慈悲」とは他者を憐れみ、苦しみを和らげることです。
それから、闇(無明)について。
どんな人間でも、心に少なからず闇(無明)を抱えています。それを見て見ぬふりして、普段の生活を送っていますが、光を通して自分自身が抱える闇を見つめることも重要です。
そして江田さんは「千歳の暗室」という曇鸞大師の喩え(※)をもとに、「光が入ってはじめて、人間はこれまでの闇(煩悩)のありさまに気づかされる」ということを平易に語っていきます。
※「千歳の暗室」の喩え
これは、たとえ千年間全く光が入ってこなかった部屋があったとしても、ひとたび光が入れば、その光によってたちまち部屋は明るくなり、千年間の闇が瞬く間に破られるというお話です。
江田さんは仏教的な「光」と「闇」について、以下のようにまとめていきます。
私たちは大変長い間心の中に「無明」という煩悩の闇を抱えて生きてきました。闇が深ければ深いほどその光はきっと明るく見えるはずです。教え(光)をとおして自身の心の中の煩悩(闇)を見つめて省みることが大切なのです。
煩悩(闇)を抱えて生きている我が身にこそ、仏さまの光が必要なのだ、ということも考えさせられた次第です。
引用部、『「お寺の掲示板」の深〜いお言葉』(江田智昭/ダイヤモンドオンライン 2025年3月24日更新)より
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