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お寺の掲示板(令和6年5月)

  • Writer: 梅上山 光明寺
    梅上山 光明寺
  • May 3, 2024
  • 3 min read

草加光明寺の掲示板に毎月掲出している言葉をご紹介いたします。取り上げる言葉とその解説は、『お寺の掲示板』(江田智昭著・新潮社)等を参考にさせていただいております。




「ボーッと生きてもいいんだよ」


NHKの人気番組『チコちゃんに叱られる!』の決めぜりふは「ボーッと生きてんじゃねーよ!」ですが、これはその正反対の意味の言葉です。


『お寺の掲示板』の江田さんは、浄土真宗のお寺に生まれ、小さなころからお説教を聴く機会があったそうです。そのときご実家のお寺によくお説教に来られていたお坊さんがいつも「今この場で聞いて忘れて、眠っていてもよいですよ」と仰っていたことを覚えているそうです。

仏様がいる本堂で眠ることに驚く人もいるかもしれませんが、どうしてこのようなことを仰ったのでしょう。


江田さんは近代日本仏教に大きな影響を与えた浄土真宗僧侶、清沢満之師や同じく浄土真宗僧侶で大阪大学名誉教授の大峯顯師の言葉を追いながら、「浄土真宗で大切なことは阿弥陀仏の救いにおまかせすることだ」と述べます。

大峯師は「如来さま(阿弥陀仏)を信じるということは、如来さまの前で独りの赤ん坊になること」だとおっしゃっているそうです。


そうしたことを受けて江田さんは、以下のように掲示板の言葉を解釈していきます。

母親に一切の責任をまかせている赤ん坊は寝たいときに寝ます。赤ん坊の様子を見ると、あれこれ考えるのではなく、「ボーッと生きてもいいんだよ」という言葉の意味するところを体現しているように思います。

また、昔、讃岐の庄松(しょうま)という妙好人(浄土真宗の篤信な信者)が本堂の前で寝転がったというエピソードを紹介し、「親の前の赤ん坊は、かしこまることも自分をとりつくろうこともしない」ことを示していきます。


ここで江田さんは、ひとつ私達に大切な注意をしてくれます。

どんな人でもそのままで救ってくださるのが阿弥陀仏であり、そこに条件はありません。しかし、阿弥陀仏が責任を取ってくれるからといって、何でもしてよいのかというと、決してそうではありません。親鸞聖人は門弟に宛てたお手紙の中で、「薬あればとて毒を好むべからず」としっかり誡めておられます。

江田さんは『「ボーッと生きてもいいんだよ」「ボーッと生きてんじゃねーよ!」という正反対の言葉の両方が間違いでないことに仏教の幅広さがある』と考察し、やさしい言葉でまとめてくださいます。

しばしボーッとして、この言葉のやさしさ、温かさを味わっていただければと思います。


普段仕事などで忙しい人は「ボーッとしてる暇なんかねーよ!」と思われるかもしれません。しかし、人間は死ぬまでずっと頑張って生きていくわけにはいきません。ボーッとしていてもそのまま救ってくださる温かくて有り難い仏様がいることを、忘れないでいただければと思います。

引用部、『お寺の掲示板 諸法無我(江田智昭/新潮社)』P26~P27より

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