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お知らせ

News and Announcements

お寺の掲示板(令和5年9月)

草加光明寺の掲示板に毎月掲出している言葉をご紹介いたします。取り上げる言葉とその解説は、『お寺の掲示板』(江田智昭著・新潮社)等を参考にさせていただいております。


「意志が濁れば 意地になり 口が濁れば 愚痴になり 徳が濁れば 毒になる」

五十音を「カキクケコ」のように発音するものを「清音」、「ガギグゲゴ」のように発音するものを「濁音」と呼びます。今回は、「意志」と「意地」のように、読み方が濁ることにより、意味も濁り、悪くなってしまう言葉をご紹介します。 『お寺の掲示板入門』にて江田さんは『仏説阿弥陀経』の「五濁」という仏教語を例に時代や思想、人の心なども濁り、悪くなってしまうと示し、そのようなことは末法の世には避けがたいものであると伝えています。 私たちが生きている現代社会にも他者への悪口や心ない批判の言葉が溢れ、そこに謹みや恥じらいはほとんど存在しないと江田さんは語ります。 今から約百年前の仏教学者・高楠順次郎も新聞紙上で「思想は刻々に悪化している。国民は日に日に堕落している」と嘆いていたそうで、いつの時代も「五濁」が存在することを痛感させられます。


江田さんは親鸞聖人の時代に目を移し、このように説いていきます。

親鸞聖人も自身が生きられた時代を「五濁がはびこる時代」であると捉えられました。そして、さまざまなものが濁った時代の中で『仏説無量寿経』に示されているとおり、「如来如実の言」(お釈迦さまがおっしゃった阿弥陀さまのご本願)を拠りどころにするしかないと「正信偈」の中で示されています。

この部分は、正信偈の「五濁悪時群生海 応信如来如実言」に対応しています。

私たちもこのお言葉を深く噛みしめながら、ご本願を拠りどころにして、自身の姿を省みることが大切ではないでしょうか。

掲示板の言葉を改めて見直したとき、「意志」が「意地」に変わり、「口」から「愚痴」が出て、「徳」を「毒」と捉える自分自身を痛みとともに振り返ることとなりました。 引用部、『江田智昭が語る お寺の掲示板入門』(江田智昭/本願寺出版社 P18~19)より

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