top of page
_DSC6440.JPG

お知らせ

News and Announcements

お寺の掲示板(令和5年7月)

草加光明寺の掲示板に毎月掲出している言葉をご紹介いたします。取り上げる言葉とその解説は、『お寺の掲示板』(江田智昭著・新潮社)等を参考にさせていただいております。


「幸せは 分け与えても なくならない」

今回の言葉「幸せは分け与えてもなくならない」は、中国語に訳された最初のお経といわれる『仏説四十二章経(しじゅうにしょうぎょう)』に由来しています。 『お寺の掲示板』の江田さんは以下のように原文を解説します。

数千百人おのおのが炬(たいまつ)を持って来たり、その火を分け取りて、食を熟(た)き、冥(暗さ)を除くも、彼の火は故(もと)のごとくあるが如し。福もまた之の如し。  これはつまり、「数千百人がたいまつの火を分け、食を炊いたり、暗さを除くことに使っても、元の種火が減ってなくなることがないように、幸せはいくら分け与えても減ってなくなることはない」ということを意味しています。

そして江田さんは、「お釈迦様にとっての幸せは何か」という点を問い、『スッタニパータ』という経典の「こよなき幸せ」という章にその答えを見出して行きます。そこには、「飲酒をつつしむ」「愚者に親しまない」などの様々な条件の一つとして「施与(せよ)」という言葉が出てきているということ。 この「施与」について、仏教学の大家でもあった中村元氏はこのように解説しています。

贈与と言いかえてもよい。物質的なものでもあってもよいし、精神的、無形のものであってもかまわないが、他の人々に何ものかを与えることによって、人々を助けることができるのである。“自分のものだ”と言ってにぎりしめるのではなく、他人に何かを与えるところに人生の深い喜びがあるのではないだろうか。 『ブッダのことば スッタニパータ』(岩波文庫)

「施与」が「こよなき幸せ」の大切な条件であることを示し、「与えるものは金銭や物質的なものに限らず、精神的、無形のものでもかまわない」と江田さんは論を進め、仏教の「無財の七施」を紹介します。 「無財の七施」はお金がかからずとも誰にでもできる布施であり、まなざしを施す「眼施(げんせ)」、笑顔を施す「和顔施(わげんせ)」、優しい言葉を掛ける「言辞施(ごんじせ)」など、七種類のものがあります。

 ですから、日常生活の中で周囲の人たちに常にニコニコした表情で優しく接してあげることも立派なお布施であり、そのようなお布施をどんなに施したところで何かが減ることはありません。それによって、周りの人々も幸せな気持ちになり、そこから喜びが生まれてきます。
 お金をあまり持っていないので、他者に「施与」できないと思うのではなく、こういった精神的・無形なものを「施与」することによって得られる幸せが存在することに気付くことが仏教的には大切なのです。

江田さんは「施与」による幸せをわかりやすく説き、最後にあるお寺の掲示板の言葉を引用してこのコラムを結んでいます。

豊かだから施すのではない。施すから豊かになるのだ。(広島県・超覚寺)

私たちはともすれば物質的なものを手に入れることに汲々としてしまいますが、ときには精神的なもの、形がないものを施し、幸せを分け合うことの豊かさを思い出すことができればと存じます。 引用部、すべて「お寺の掲示板の深~いお言葉」(江田智昭/ダイヤモンド・オンライン 2022年11月7日更新)より

bottom of page