お寺の掲示板(令和8年5月)
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草加光明寺の掲示板に毎月掲出している言葉をご紹介いたします。取り上げる言葉とその解説は、『お寺の掲示板』(江田智昭著・新潮社)等を参考にさせていただいております。

「誰かがやるだろう」 その「誰か」とは自分の事である
今回の言葉は静岡県の曹洞宗寺院・鳳林寺の掲示板に書かれたもの。昨年末に行われた「輝け!お寺の掲示板大賞 2025」にて、笑い飯哲夫賞に選ばれました。
仏教にも造詣が深く、浄土真宗本願寺派の宗門に関連する教育機関・相愛大学の客員教授でもあるお笑い芸人、笑い飯 哲夫さんからの講評は以下の通りです。
自分の家の宗派が曹洞宗なので、曹洞宗のお寺への贔屓というのが一つの理由です。あと、トイレに入って汚かった場合、それを綺麗にするのはいつも必ず自分だろうと思って、それを心がけています。
なお、哲夫さんはFM大阪にて以下のような番組を持っています。 (仏教伝道協会 presents 笑い飯 哲夫のサタデー★ナイト仏教ホームページ) https://www.fmosaka.net/_sites/16783385
哲夫さんは曹洞宗のお話をされていますが、とある曹洞宗のお寺の玄関で「脚下照顧」という言葉を目にしたことがあります。「きゃっかしょうこ」と読み、「自身の足元をよく見て顧みましょう」という意味の禅語であるそうです。玄関では端的に「履物を揃えましょう」という意味であり、人生に広げて考えれば「今の自分自身を見つめ直しましょう」ということかもしれません。
掲示板の言葉を見ていきます。
「誰かがやるだろう」
玄関の靴の乱れやトイレの汚れをその場できれいにするのは少々抵抗があるものです。特に急いでいるときや普段関わりのない場所であれば、「誰かがやるだろう」と考えるのは無理のないことかもしれません。私の責任ではないかもしれません。ただ、みんなが「誰かがやるだろう」と考える結果、その場ができていくのでしょう。身近な空間の汚れから地球の環境問題まで、その根本は同じなのかもしれません。
「その『誰か』とは自分の事である」
「誰か」を「みんな」や「他の誰か」ではなく、「自分」の事として引き受けること。靴を揃えることも掃除をすることも、少々面倒なことではありますが、「今、これをするのはほかでもない自分である」という気持ちで引き受けて集中して行うと、清々しい心持ちになるものです。
お釈迦様の弟子の一人であるチューラパンタカは、ほうきで塵を払うことによって悟りを開かれたと言われています。また、家のお掃除やお寺などの清掃奉仕活動を楽しんだ経験がある方もおられるかもしれません。
「誰か」を「自分」に置き換えて、今できることをしてみませんか?









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